創業者 佐藤忠吉
未完の百姓でございます。
「わたしたちの考える農業」
小さな米のひと粒にいのちを込める。それが私たちの農業。
いま人々は誰もが、食に関する危険信号を感じ始めています。ここで私たちは「食べる」ということを、考え直してみる必要があると思います。食べるということ。それは地球上の生物の「いのち」をいただくこと。そして、生命の源としての食べ物を考えていけば、どう作られているかが重要になる。生産者と消費者は、顔の見える関係が理想です。どんな思いで米ひと粒が作られていくか、本当に大切なものは何かを、お互いに理解しあえたらいいと思っています。
生命力に満ちた大地から生まれたものは、体に安心。
自然の営みを大事にする有機農法から生まれた食品は、人にも環境にも安心と言えるでしょう。自然の力を食する暮しには、安らぎがあります。四季が明確な日本では、野菜にもそれぞれ旬がある。旬は作物が一番素直に育つとき。旬の野菜には体のバイオリズムを整える働きがあり、四季に即した食べ物をとる意義もそこにあります。自然と共に生きることが、木次の農業スピリットです。
食べ物を商品ではなく「健康な命の源」として考える。
大自然の仕組みのなかで生産に携わるかぎり、工業製品のように大量生産はできません。あくまでも小規模に、自然のものをできるだけ自然に近い状態で、地域の人々に提供する。それを理想にしています。大自然のサイクルに基づいた製品作りをしているので、少量ずつしか生産できません。いのちある食材として健全であることを、何よりも重視したいと考えます。
食べ物には作り手の人がらが反映されると考えております。
まず、作る人間が健康でなくては。そのうえで本物の食べ物ができる。自分が食べる気持で物を作る。「人の為」と書くと「偽り」になります。自分のために、安全な食べ物を作ろう。それが広がっていけばいい。これが有機農業の出発点です。しかし有機質も度を越せば、作物はだめになる。土地が肥沃になりすぎると、根を張らなくても成長できるからです。根を張り、懸命に養分を吸い上げるから、作物本来の味になる。人も作物もひもじさや困難に遭遇するなかで、進歩・成長するのです。
百姓は百の作物を作る人、まだまだ未完の百姓です。
めざすは小規模多品目複合経営です。酪農と乳業だけでなく、農家と加工営農を含めたネットワークを作り、地域的広がりのなかで多面的な生産をしていきたい。そうしたうえで消費者と直結した流通、生産活動ができれば、とても幸せだと思います。いま「食の杜」のゲストハウスには、農業に関心のある青年や大学生だけでなく、社会学や経済学を学ぶ人たちも集まってきて、汗を流しています。土に親しむ人が増え、それぞれの地域で新しい核になってもらえたら、と試行錯誤の日々でございます。